自閉症って、障害って何でしょうね。我が家の自閉症児は確かに言葉や行動は独特ですが、私たちが気がつくと見失いそうになる優しさだとか他人を受け入れる包容力とか、そういった人として最も大切にすべきものを持っている、最もその自閉症という文字とは対極の世界にいる、本当の社交性をもち合わせた天使という感じがします。言葉を使うようになってから、現在まで彼が日常もっともよく口にする言葉があります。
「ありがとう じゅんこさん」(息子は時折 私のことを順子さんとよびます)
「ありがとう」

今年、彼は10歳になりました。
生まれてきてくれてありがとう、こんなに子供な私を母に選んでくれてありがとう
自閉症という障害は、普通のいまの社会の中では、さまざまな人の支援がなくては生活しにくいことがやはり多々ありますが、そんな支援をする中で彼から教わることは とてもとても大切なことばかりでした。
ありがとう、そんな素敵な言葉を 身近な誰かに かけてみませんか?

翔彩ダイアリー

★ハッピーボーイの日常

朝はいつも笑顔。
おきたと思ったら大抵笑っています。
「国旗食べる~はははははは」
といいながら。
ちなみ少し前はうさぎのキャラクターであるミッフィーが毎朝彼に食べられていました。
「ミッフィー食べる~ははははは」
もちろん本当に食べるわけではなく、その「食べる」と彼が言う言葉に対して周りのものが「たべませ~ン」と笑顔で答えることを彼は楽しんでいるのです。
ときには母も食べられます。
「順ちゃんたべる~はははははは」
と。
起き抜けの笑顔の理由は親歴6年を超えた今でも、彼の広い世界のすべてを私には理解できません。
でも、たぶん何かが楽しいのでしょう。
なので、とりあえず一緒に笑って こうやって朝ははじまります。
「ハッピー」
「大好き~翔彩!」
嘘のようですが。大半の毎日はこうして彼を抱きしめることからはじまります。

★「自閉症児は抱きしめられることが苦手なことが多い」

この通説は、彼にもやはり当てはまります。
でも母はそれは無視します。
なぜならそんなことは寂しいからです。
「鳴かぬなら鳴かせてみせようホトトギス」
方式で、あきらめの悪い私は日々襲い続けました。
どんなにいやといわれても、ひっかかれようと逃げられようと日々続けていると、馴れるものです。
例え自閉症でも何でも。
はじめはもちろん顔を背けて すり抜けられつづけました。
「もうマジでいや!」
という感じだったのが、やがて「困った母だなあ~」という感じになり
やがては大人な息子は子供な母を許容するようになりました。
粘り勝ちでしょうか?
いえいえ、でも実は最終的に粘り勝っているのは、彼なのです。
というもの・・・
あるときから、彼から抱きついてくるようになり、気がつけば、
離したくても離れないほどいつもべったりくっつい寝ています。
しんどいからと布団を変えて寝てみても、朝目が覚めるととなりで抱きついているようになりました。
ひどいときには洋服の中に入って寝ています(かなり怪しいです)
現在6歳にして過度なマザコン息子と化して日々こなきじじいのように
はがすのに必死なくらい べたべたです。
今では私が彼から離れたくて必死です。
つまり・・・彼の粘り勝ち状態になりつつあります。
「鳴かぬなら鳴かせてみせよう・・・・」
翔彩がにやっと笑います。

★「障害児の療育では否定的な言葉をさける」

と一般には言われいますが。
すみません。我が家は使いまくってしまっています。
「なめませ~ん」
「しませ~ん」
「たべませ~ん」
「もう知らない!」
「もう!」
否定語の嵐です。
しかし、それもなとなく彼には面白いようで、最近口癖になったのが
「もう知らない!」
何かをしかるとこういうようになりました。
しまった!と思ったのは、その言葉を日常しょっちゅう彼にいっていた私でした。
あまりにもべたべたしてはなれなかったり、きんきん声がとまらないとほとほと疲れてこういってました。
おかげで最近は 大騒ぎしている彼が先に閉めの言葉をいいます。
「もう 知らない!」

つまりは すべてにおいて型破りな療育をしている家が 我が家だったりします。
すべては 「ま、いっか。」
一般常識上どうしてもダメなことは くどいほど教え込みます。
通常一つ教えるのに100回以上は同じことを繰り返します。
ふつうは一回で言葉で通じますが、それが難しいので、文字をつかったり、その場面場面で適切にしかったり、絵本の絵か何かとリンクさせて教えたり、ともかく100回から多いときにはおそらく1000回を超える説明をして彼はなんとか少しずつ理解していきます。
けれど、 本当は大して問題ではないことは 基本的にはすべて「ま、いっか」で笑顔で終わっています。
絵本を切り刻む時期がありましたが、それは週刊誌などで切ってもいい本があったからで 今の彼にはすぐにはその差を理解できなくて当然 なので ま、いっか。
真夜中に何度も起きても、早朝3時だとか4時からおきてご機嫌でさわいでも
「ま、いっか!」
目が覚めちゃったものはしかたない。
笑顔や一生懸命意味不明でも何やら言葉をしゃべろうとしているなら ま、いっかと許せます。
2歳ぐらいのときには まるで寝てくれなかったので、その頃に比べたら 雲泥の差です。
私にとっては 「3時間も寝てくれた!ああハッピー」なので 一緒になって遊んでみます。
「国旗食べる」
「けろけろけろけろけけけ」
「それ、めちゃくちゃよ~」
「楽しい機関車 ジェームズあ~あ~あ~あ~ぶつかっちゃったあ~あ~」
「あ~あ~雪べちゃべちゃよ~」
本当にさっぱり意味はわかりませんが 彼の中にある楽しい言葉が洪水のようになってあふれ出すのでしょう。
冷静に聞いていると かなり笑えます。
早朝4時ぐらいに親子で大笑いして 毎日エンジョイしています。

★「バリアフリー・コミュニケーション」
私はあたりまえのように 言葉だけのコミュニケーションの世界を生きてきました。
けれど 彼と出会って 言葉以外のコミュニケーションがこんなにあるのだと知りました。
言葉に意味をつけた人がいたから 私たちはその意味に応じた言葉を今使い意思疎通をしています。
でも言葉に意味なんてなくても 十分にコミュニケーションはとることができます。
言葉以外のコミュニケーションをみつけてみてください。
きっととても楽しくて、そして 人はどんな状態になってもあらゆるコミュニケーションをとろうとしているのだと知ることができると思います。

私の彼とのバリアフリー・コミュニケーション(感覚的に点を入れて造語にしています)の第一歩は 「大好き~」でした。

★ 雪を食べてみませんか?

昨年 北海道の友人に誘われて翔彩と二人で北海道に行きました。
彼はそこらじゅうにある雪をひたすら食べ続けていました。
「たべませ~ん」
なんて言っても まるで彼の耳には入らず いっそう狂ったように雪を食べていました。
ゆきだまが飛んできても動じることなく ばくばくばくばく
やがていつものように「ま、いっか」ということになってとりあえず 道路上ではなく綺麗な白い雪を食べてね~
なんていいながら見ていると 元気にばくばく食べ続けて一時間。
さすがにお腹が膨れたようで 今度はソリに夢中になっていました。
北海道の友人(じつはひそかに無茶苦茶美人なアナウンサーです)は、その顔に不似合いなほど「遊び上手」
はちきれそうな笑顔で 翔彩と一緒にそりを楽しんでいました。
年齢差も 言葉の壁も何もそこにはなく、ふたりは何度も何度もそりすべりをしたあげく 高くつもった雪の中に消えていきました(埋もれていました)

兵庫県では そうそう体験しないすごい雪に 翔彩はすっかりはまり それから滞在中の3日間はおなかいっぱい雪を食べました。
「おいしかった~」
といいながら。

★ スキーにチャレンジ!
ドルパシの田中さんが勤めるスキー場で今年はスキーにチャレンジしました。
となりを走っていたスノボの人たちのマネをしたら進めるんだと思ったのか スキーを履いて一生懸命 跳ねていました。そしてゲレンデの下のほうに寝そべっているスノボのお兄さんたちに
「おやすみなさい~」
と声をかけてまわっていました(笑)
「違うって翔彩~」
といいつつ大人は大うけでした。
はじめてのスキーを3時間ほど楽しんだ後彼がいいました
「おうちいこ」
と。
スキー場まで自宅から7時間かけて到着して3時間後です。
「え?今日はホテルにとまらない?翔彩ご飯たべよ」
「おうちいこ~ホテルバイバイ!雷鳥乗る!」
「え?~」
1時間説得しましたが 大パニックになり頭を打ちつけだしたのでしかたなく
あわてて帰り支度をして帰りました。
片道7時間、帰りは田中さんの手配が早く(感謝です)だいたい6時間で自宅に到着
なんと真夜中の12時半でした。
こんなことも笑って許せるようになりました「ま、いっか」と。
この程度のどたばたは予想範囲なのです。
ドルパシ田中さんがいいました
「また 翔彩君伝説を残しましたね~」
みんなが笑顔で 彼の障害を受け止めてくれる
「理解してもらうこと」
つまりは「バリアフリー・コミュニケーション」が誰もが形が違えど持っている障害の障壁を少なくする第一歩なんだろうと思います。
雷鳥に乗ったころ スキー場で写した写真を 翔彩に見せたらこういいました。
「スキー 楽しかった」
一同列車内で大笑いでした。
しかし、新井スキー場のスタッフのみなさん 大変お騒がせいたしました。
ご迷惑おかけしてすみません!
でも彼は 本当に楽しかったようです。
ただ何かがダメだった・・・
しかし その何かを 親でもその理由を突き止められていません。
ジェットスキーの音か、ゴンドラ乗り場の雰囲気か
日々 なぞを解明しようと努力していますが・・・
彼からの伝言です
「スキー 楽しかった」
「山ドライブ いこ」
母はひたすらおいしいご飯が食べたかったです。ホテルのマッサージも受けたかったです。
何よりホテルの部屋でぐっすり平和に眠りたかったです。(帰りの雷鳥の椅子ではつらかったし)

二度目のパラオに行ったとき、やはり翔彩は伝説を残しました。
しかし その失敗から新しいプログラム「フィールベイ」が生まれました。
みなさんもぜひ パラオに たくさんの笑顔だけでなくたくさんの課題を残しにいってください。
そんな問題を一つ一つクリアし、今日もパラオドルフィンズパシフィックのスタッフのフィールドルフィンズチームは日々勉強を重ね より笑顔で参加していただけるようにと努力を重ねてくれていると思います。

フィールドルフィンズについてはこちらをご覧ください→フィールドルフィンズへ

自閉症って何?と思うことがあります。
でも 一つ確かにいえることは 私も彼も 見方を変えたときから
何もかもが とりあえずハッピーになったということです。
「ま、いっか」
といえるようになったことが たぶん一番大事なような気がします。
「どうしてこんなことが理解できないのだろう」
「どうしてできないのだろう」
「どうして言葉がしゃべれないのだろう」
それらどうしての否定感覚が あるときからすっかりかわりました
「すごーい 絵がかけた!何かわかんないけど・・・すごーい」
「聞いてる?・・・聞いてくださ~い笑」
「ジェームズべちゃべちゃ?大変だね~」
できなこと 苦手なことが 笑顔の引き金になることが多くなったからです。
一人ごとをぶつぶついっていても
よくよく聞くとかなり面白いのです。
あまりに最近親や周りの人たちが「翔彩君すごい~」とたいしたことなくてもすごい時間をかけてできるようになったので褒めちぎっていると 翔彩本人が 何かできたものを見せながらこういうようになりました。
「とあくんすごいね~」
これもかなりうけます。

絵は 6歳になってやって少しかけるようになりましたが それもまた面白い。
いつも同じものを繰り返しみては同じ言葉を繰り返すのでときどき確かにうんざりして
「もう 知らない!」
とはいっても
「もう 知らない!」
と翔彩に返されれば それもまた笑顔の種になります。
つまりは みんなが笑顔だから 「ま、いっか」
になれたのです。
できないことも ゆっくりゆっくり彼は「できる」に変えていきます。
だからゆっくり「できた」ときの喜びは 親だけでなく先生たちや支援に入ってくれているヘルパーさんたちにとってもとてつもなく大きな喜びになります。
そしてそんなふうにみんなに ふつうならたいしたことではないことでべた褒めされると
言葉が理解しにくい翔彩でも その雰囲気でなんとなくうれしそうにし
やがてその言葉「すごいね~」とか「かしこい!」
をいい言葉として覚えるようになるのです。
周りがハッピーでいれば 彼らは ただただハッピーなのです。
何かができなくても毎日とりあえず彼は楽しそうなので 「ま、いっか」です。

結構ネガティブ発想だったうちの両親さえも 最近では「ま、いっか」になりつつあります。ただときおり翔彩の超早起きに祖父がマジぎれし 二人のお子ちゃまが早朝から喧嘩し、大騒ぎしていることもありますが・・・

ともかく彼が誕生したことで いえいえ彼とめぐり合ったことで 我が家は180度変わりました。通常では対応しきれないけれど それでも なんとなくどんどんたくましくなり、気がつけば 究極のポジティブ発想一家になりました。
たくさんの涙を超えて 今はただハッピーになれたのは 結局は 彼が何だかわからないけど笑っていたからでした。
相変わらず私が具合悪いことにはお構いなしに体当たりしてきますが。
それも 今はとりあえず「ま、いっか」です。

自閉症って何でしょうね・・・
彼は今日も朝1時におきて3時までひたすら笑っていました。3時ごろに疲れて寝入ってしまったようですが(前だと結構そのまま朝でした)。
私の夢の中では 翔彩がつぶやくミッフィーとNOVAうさぎが踊っていました。
私が自分のイラストをあちこちに張っているからでしょうか?
彼はなぜか異常に変なキャラクターに興味をもちます。

とりあえず今はまっているのは NOVAうさぎ
「ノバ 今なら DVDがもらえる!」
と毎日独り言をいって笑っています。ノバさんCMにいかがですか?みたいなほどです・・・
そして「もりぞー と キッコロ」(愛知万博のキャラクターです)

ちなみに私が描くイラストは あのノバウサギ路線です。
つまりは おふざけキャラ専門。
血が騒ぐのでしょうか?

今年は「JUN NITTA 笑えるイラスト作品展」という個展も開催予定です。
みなさんぜひお越しください。
開催予定  2005年 9月
詳細は HP上にてご報告します。

翔彩は今日も笑っています。


「滑り台のお伴」